叔父の通夜に参列する。90歳も半ばの大往生。
戦争・長崎
遺影を見ながら、今年は戦後70年だから、叔父は20代前半に戦争を経験してたんだなあ、と、ぼんやり考えていた。そんな話は聞いたこともないけど。すると、喪主である、叔父の息子さんが、あいさつ。
叔父は、戦争当時、海軍に属し、ある特攻部隊にいた、と。爆弾を積んだ、5人乗りくらいの小さな船で、敵船に体当たりする任務。叔父の遺品の中には、特攻服と、出撃を控えた叔父への寄せ書きもあったらしい。
叔父の乗る船が、修理のため佐世保港に寄港しているときに、長崎への原爆投下。終戦を迎えた。叔父は出撃することはなかった。原爆被害者の救護にあたったとか。
叔父は戦後、戦争について語ることは、ほとんど無かったという。
死は、亡くなった日のはじまり
僕も年を取ったせいか、葬儀に参列する機会が増えた。すると、死を身近に感じるようになる。
死は、終わりじゃないって気がしてきてる。亡くなった本人にとっては、どうだかわからないけど。
少なくとも、残された人たちにとっては、死は、あの人が亡くなった日の始まり。1回忌と1歳の誕生日は、似てる。
僕たちは、亡くなった人のことも、ちゃんと覚えていなきゃならない。
叔父のご冥福をお祈りします。